さりげなくニュース2007.3.25


   
アラブの湾岸諸国がペルシャの支配下に陥らない防波堤が歴史的にチグリス川であった。唯一の自然によるバリアでもあった。それに加えて親米世俗政権でもあったフセイン元大統領もまたペルシャの勢力からアラブ湾岸国を守る防波堤でもあった。
 フセインの処刑寸前までの落ち着き様が印象に残ったのはなぜであろうか。アメリカは決して自分を処刑はできないと思っていたはずだ。その読みと自信がフセインをして落ち着きを与えたと見る向きがある。
 アメリカはイラクの統治に失敗したと一般に受けとめられている。フセインに変わるペルシャからの防波堤になり得る政権からは遠のいてしまった。アラブにとってはとてつもなく忌忌しきことだ。とくにサウジアラビアの心中は存亡の危機に近いものと考えられている。イスラエル国益擁護を考えるユダヤ社会からの圧力による国内要因にしろ、あるいはイスラエルの壊滅を標榜してやまないイランがどれだけ憎いとしても、防波堤となり得る政権づくりに失敗した結果残された選択肢はイランのシーア派世界における利権を許容する政策を取らざるを得ないと見られている。ということはイラク最大の油田地帯は南部にありそこはシーア派支配に委ねるということを意味する。サウジアラビアにとってもただごとではない。シーア派とスンニ派の比率が6対4とシーアの多いバーレーンに波及しサウジアラビアの東部はサウジでは最大の油田地帯が集まっている地域でもある。そこがシーア派によって支配されることになる。クウェートとならんで最大の親米国サウジにとってはただごとではない。
 米国のイラン封じこめの必然とジレンマがあり泥沼に落ち込んだと表現可能だ。フセインの自信と読みはこんなところにあったに違いない。
 我国にとっても中東の混乱はただごとではない。90年代原油輸入の中東依存度は90%を越えていた年もあった。70年代の第一次と第二次石油危機で70%代に落ち込み、トイレットペーパー騒動や街中のネオン自粛など鮮明な記憶となって残っている。現在依存度は90%近い所を推移している。
 98年のデーターであるが我国の中東への石油依存度は諸外国を引き離してダントツの86%である。多い国であるフランスで44%である。アメカにいたっては23%である。
 人口6500万人という大国にして中東有数のマーケットを有し中央アジアへのゲートウェイとしてのイランの重要度は強調しすぎることはないが我国の石油輸入量に占める比率は15%である。輸入量という数字に限ってみならばサウジアラビアの26%がダントツである。我国のエネルギー確保には中東の安定がいかに大切か数字がつぶさにものがたっている。アメリカとの同盟関係を重視しながらも独自の中東の情報を収集してアメリカと中東の仲介をなしうる立場にある我国の強みを今後遺憾なく発揮すべきだという意見が根強くある。
 人口の3分の2が25才以下というイラン、シーア派の国がある一方で「タクフィーリー」といアラビア語に象徴されるようにイラク、シーア派と米軍に闘いを挑むスンニ派武装勢力もいるところに安眠できないサウジの姿があった。