さりげなくニュース2012.3.25


  ロシア大統領選の翌週、日曜日の午後二時、モスクワに革命は起こらなかった。34,000人、手と手を結ぶ鎖の輪は、通りを練り歩いた。若いカップルの胸には白いリボンがつけられ、車の警笛音が鳴り響いた。
 
  エリツィンがソビエト社会から別離して、新たな社会に向けて歩みだそうとした演説の前に、何十万人の群集が、ひしめき合った盛り上がりは無かった。
 
  12月の議会選挙の不正抗議から尾を引いてきた、今回の大統領選挙での不正に対する一連の抗議デモは、ウクライナのオレンジ革命には続かなかった。
 
  ソビエト末期に生誕したミドル階級は、知的でインターネットを駆使する現実の生活を大切にし、そこに根付いている階層でもある。アラブの春を主導した若者の熱気は、このロシアからは聞こえてはこなかった。ただチェスのグランドマスターであるギャリー カスパロフ氏の叫びがなにを物語ったのか。「今、士気を挫き、チャンスはないと思うのは、事態を悪くするのだ」と、スピーチしてはみるものの、革命までは、およそ遠すぎた。
 
  国内主要メディアを総動員した結果の、プーチン支持率60%強が、プーチンが今後強権を発揮するうえでは、低めの結果だったのか。それはプーチン氏が強く考えることであろうか。ただモスクワに限ってみると、プーチン氏の支持率は47%にしかすぎなかった。プーチンはモスクワを失ったと言われる所以である。知的ミドル階級はプーチン離れを起こしているのではないかと、読み取れる。物言わぬ労働者階級や年金層は、どちらかといえばプーチン氏の支持基盤とも言われている。ところが、近々、税や社会保障の面に手を付けざるをえない状況は秒読みの段階に入ってきた。その支持基盤の離反に加え、ミドル層の過激化が合い合わさるとき、プーチンの2018年は安定的でありえるのか疑問である。それにもまして、オイルとガスの価格に翻弄される不安定な経済をかかえこむロシア。2年後のプーチンを危ぶむ声も上がっている。
 
  プーチンの誕生は国内への影響よりは、国外への影響の方が数段に大きい。
 アメリカとしては、ツイッターを操り、西洋の方に視線を向けがちなメドベージェフ氏は懐柔し易い人物であった。リビア攻撃では、安保理でのロシアの拒否権を阻止することに成功した。だが、諜報出身のプーチンを意のままに操ることは到底出来る相談ではない。シリアに対する安保理の非難宣言に、ロシアは早々と拒否権を発動した。オバマ氏がイラン攻撃に消極的になりだしたのは、プーチンの復活と無縁ではない。安保理の同意を得るのはプーチンのロシアでは絶望的となった。ブッシュが安保理を無視してイラクを攻撃した通りに、イランを攻撃する力量は、今のオバマ氏にはないとみるべきだ。
 
  また、アメリカのブロック経済化としてのTPP、太平洋経済圏の囲い込みをロシアは早々と読んでいた。ユーラシア経済圏構想は、ベラルーシ、カザフスタンの間の関税撤廃を初めとする経済の緊密化、あるいは、将来のソビエト化への動きである。
 
  アメリカの衛星国家であるわが国にも、近年大胆な世界戦略があった。ミスター円こと榊原、元財務官僚による東アジアに円を決済通貨とする構想(アジア通貨基金構想)である。悲しいかな衛星国家であるために、いとも簡単に潰された。この時が、わが国躍動の頂点、そのものであったろう。アメリカの意を汲んでの、国内におけるカウンター・パートナーの存在と相まって、独自の戦略を築けずにここまできた。
(元外交官のブレジンスキーは衛星国家という言葉を使った)。