さりげなくニュース2011.11.27

    ユーロ圏の財務危機は南の地域のこととして論じられ、騒がれてきていた。ギリシャやイタリア、スペイン、ポルトガルの問題として。これらの国々は地中海地域の国々でもある。北方のドイツなどとは色合いがちがうように、経済的には、見ようによっては見える。北は富める地域、南は痩せた、勤勉さの足らない地域と、暴力的に言いえるのかもしれない。
 
  ユーロの政策権者は南を怒っている。財政規律も無くむやみに出費し過ぎる。国の売上の3%以内に出費をおさえないなら、やがて、金などどこも貸してはくれなくなる。そんなことをどうして解らないのだ。と政策担当者は吠えているところだ。
 
  ギリシャは借金の半分を帳消しにして再生をはかることになったが、規模の大きな経済であるイタリアの場合は反動があまりにも大きい。フランスを初めとする諸外国の銀行はイタリアの国債をどれだけもっているのか。爆弾をかかえているも同然である。現在イタリアの10年ものの国債の利回りは7%ほどに達している。優等生ドイツの3%以下と比べても高く、個人ならば30%以上の高利貸しのそれに相当する。これでは立ち行かない。IMFの指導下に入ったものの現在のところ有効な手立ては見出してはいない。
 
  インフレには歴史的に辛酸を嘗め尽くしてきたドイツの立場というものもある。ECBヨーロッパセントラル銀行がユーロ紙幣をバンバンと刷って当面の危機を救う事だって考えられる。ところが、事はそんなに単純ではなさそうだ。
 債券市場の信用を得るためには、財務危機に陥っている国は、ここ一番意地を見せなければ成らない。財務状況を良くする為には二つのことしかない。一つは賃金を切り下げて産業の競争力をつけることである。今一つは、国が出費を切り詰めることである。言うは易しである。しかしそこには、国民の油を絞り込むような痛みを伴うことになる。政治的にはとてつもなく不可能に近い。
 
  これまでは、このような局面では、自国通貨を切り下げて国際競争力をつけ乗り切ることができた。しかしユーロ連合は自国通貨を捨て、ユーロに一本化したということがある。
 
  今ユーロの進むべき道しるべは二つの選択肢に絞られそうだ。一つは今回見え出した各国の放漫財政に楔を入れて、通貨統合のように財政も統合してしまおうという方向である。その過度期の方策として各国は、予算案が策定される段階でユーロ本部の検閲をうけるというものだ。
 
  もう一つの選択肢は、ルール、ルールと縛るのではなく、一時、サバイバルということに重きを置いて、ルール破りをして、経済が健全に成ったら、また元にもどせばいいではないかという方向である。
 
  こんなことまで考えなければいけなくなったユーロ圏の危機は相当なところまできている。南の雄フランスの雲行きが怪しくなりだしてきている。投資家はフランスに対してユーロの中心に居続けることは困難に成るだろうと見ている。かなりの対外赤字と貧弱な国家財政のためである。
 
  話はちょっと横道にそれる。わが国の国債発行残高は、世界で最悪の借金地獄の国である。今問題になっているイタリアやギリシャの比ではない。数字上ではその通りである。ただその内容である。90%が国民からの借金であるという決定的な違いがある。財務省が税を上げたいときにいう言葉は、このままではギリシャのようになる。これは、国民の無知につけこんだデマゴーグの類である。
 
  IMFが世界の無知につけこんでこの類のデマを流し、わが国は、債券市場で信用を失墜させられたらたまったものではない。常日頃から主張するところはきちっと主張すべきことを心しておかねばならない。いつ足元を掬われるかもしれない。用心にはこしたことがない。
 
  ヨーロッパが、がたがたな状況下、アジアが今のところ踏みとどまっている。これが世界経済にとっての救いだ。つい先ごろアメリカの小さな地方字自治体がデフォルトしたというニュースが飛び込んできた。アメリカは、現下の雇用状況の改善と、経済再生の足がかりを、太平洋岸自由貿易に託そうとしている。わが国の仮免許政権がどう太刀打ちし国益を維持しながら、好転に転じうるのか、みものである。しかしどうも望み薄のようだ。なぜなら、昨今、地位協定での軍属の裁判権を勝ち取ったと、意気揚々とはしゃいでいる姿をみるにつけ、この練習予備政権が、何か新たな枠組みにチャレンジしうる可能性、意欲は皆無であろう。今後、わが国は、政治力の劣化という一字でもって、長期、漸進的な低迷化の道を進むものと考えざるをえない。

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