さりげなくニュース2010.10.16


  徳之島へ米軍機能の一部を移転する鳩山政権の動きは住民の大反対を受けている。
 
 アメリカの海軍基地としては世界で最大の横須賀基地がありながら、なぜ沖縄の基地が必要なのか、という素朴な疑問が沸いても当然である。
 
 海を掌る普天間の訓練が空を掌る嘉手納でなぜ行えないのか。アメリカ側の説得力ある回答は無く、岡田外相の嘉手納統合案は一蹴された。
 
 そもそも、おもいやり予算という、アメリカ軍事産業(軍事予算)を喜ばせる包み物を差し出してまで、守ってもらう我が国への軍事的脅威とは何なのかを、原点に戻って考察する必要がある。
 
 中国はここ60年間、我が国を軍事攻撃しようとするそぶりを見せたことがあっただろうか。かつて華人ではないモンゴルの元ぐらいなものである。対中国に関しては我が国のほうが攻めの一手に従事してきたことは事実である。それでは近々の脅威である北朝鮮はほんとうに脅威であろうか。ほとんど問題外である。なぜなら北のそれは、自殺行為だからである。中国の支配圏内にほぼ落ちた、北に他国を攻撃する可能性は、ほとんど考慮する必要が無いほどに、中国への依存度は七割を超えている。北の軍事的冒険主義は国際的努力による六カ国協議への参加といった、北の国際システムへの囲い込みにより、やがては、解決に向かうものと考えられる。
 
 では、アメリカに基地を提供する代わりに守ってもらうとは、いったいどの国の攻撃から守ってもらうのかとなる。
 
 アメリカの軍事戦略はイラン、イラク、アフガニスタン攻撃に向けられている。我が国の軍事基地はそのための目的に変容してきている。ということは、戦略上グアムが軍事基地としてのハブであるから、沖縄の基地は別になくてもアメリカにとっては困らない。そもそもなぜにアメリカは日本を守らなければならないのか。アメリカ人に聞いたら誰もが不可解な表情をするに違いない。
 
 アメリカ軍需産業のためにおべっかをつかうのではなく、住民のために主張する姿勢、甘ったれでない姿勢が求められる。
 
 話しは変わるが、ギリシャ問題は、ようやく動き出した。ユーロ加盟16カ国会議で約13兆円の支援が決まった。もしそんなものがあるとするならば、チュウトン(現在のドイツ人)的哲学とラテン的哲学のぶっつかりあいがあり、またワイマール ウイルスへの恐れは、第一次大戦後の天文学的インフレを経験したドイツ、メルケル首相を慎重にさせてきた。ところがここ、ギリシャにとどまらず、危機がスペインという、生産高で、ギリシャの数倍規模の地域に伝染するに及び、メルケルを動かした。 彼女は涙ぐましい嘆願を連邦議会になした。
 
 ドイツが自由で強い国になったのは、このヨーロッパがあってのこと、EUからは離れることはできません。切っても切れない隣人のおかげです。(Telegraph:05 May 2010)
 
 第一次大戦の戦後処理で多大な賠償金を負わされ、また現在のEUを形づくるフランスからキール地方を占領されるという、過去の影を背負いながらも、団結に向かってメルケルの意志は、遅ればせながら固まったかに見える。
 
 ドイツの支援負担は、今後重くのしかかるはずだ。だが、かつて28%の完全失業率と42%の不完全就業率、それに天文学的インフレを経験した国だからこそ、隣人の痛みもわかるのかもしれない。